あのおかしな散歩が功を奏したのか、私のモヤモヤした気持ちは妙に吹っ切れて、良い具合に肩の力が抜け落ちた。





ブゥゥゥン・・・

前回大失敗した医療忍術。でも大丈夫。今日は絶対いける。

頭の中が冴え渡っている。チャクラを通して、細かい神経の一本一本が手に取るように伝わってくる。

落ち着いて。大丈夫。私ならできる。絶対できる。

ゆっくり・・・、慌てないでゆっくり・・・。そう、確実に神経を繋ぎ合わせて・・・。

周りの傷を負った細胞もきちんと修復して。

そして・・・、よしっ。



「やれば出来るじゃないか」

「は、はいっ」



作業台の上で、実習体の魚がピチピチと元気に跳ね回っていた。


「ふぅぅ・・・」


張り詰めていた空気が一気に和らいだ。

額の汗を拭いながら、そっと綱手様の方を窺う。机に肘を突きながら、綱手様は満足そうに微笑んでいた。



「どうやら迷いは吹っ切ったようだな」

「はい。ご迷惑をおかけしました」

「いや、迷惑だなんて思っちゃいないよ。壁にぶち当たらない人間なんていやしない。要は『どうやってその壁を乗り越えられるか』さ」

「はい」

「・・・・・・何か良い事があったみたいだねぇ」

「えっ?」

「お前の顔にそう書いてあるよ」



ニシシ・・・とからかうように笑われてしまった。



「えっ・・・、べ、別に何もないですよぉ・・・」

「ふーん。・・・さては、新しい男か?」

「・・・は?」

「そういや、前にお前が一緒に歩いていた中忍野郎だけどね。アイツは女癖が悪いんで有名なんだよ。まあ、あんな奴とは別れて正解だったな」

「あ、あれは一度お茶をご馳走になっただけで、そんな別にお付き合いしてた訳じゃ・・・」

「ああ分かった分かった。新しい奴には内緒にしててやるから安心しな。・・・んで、今度のお相手は一体どこのどいつなんだい?」

「いませんって、そんな人!」

「何をそんなむきになってんのさ。別に構いやしないよ。修行の邪魔になんなけりゃ」

「むきになんかなってません。師匠が変な勘ぐりしてるから・・・」

「でも、気になる奴はいるんだろ?」

「うっ・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・ふふん・・・」

「な、何ですか・・・?何じっと見てんですか?」

「サクラ・・・。優秀な医忍ってものはね、人一倍読心術にも長けてんだよ」

「え?」

「戦場で口も利けないような重症患者に、一々『どこが痛いですか』なんて訊いてらんないだろうが。相手の態度や顔色で素早く察してやらないと」

「そ、それはそうですね、確かに・・・」

「当ててやろうか?」

「へ?」

「この綱手様が、ズバリ言い当ててやろうか?」



ニヤリと、不敵に笑っている。

ピクリとも微動だにしない視線は、本当に心の奥まで見透かせそうなくらい力強い。

も、もしかして・・・本当に心の中を読まれてる・・・?

自信たっぷりに瞳の中を覗き込まれて、心臓がバクバクと口から飛び出しそうになってしまった。



「け、結構ですっ!」



冗談じゃない。

もし、まぐれにでも言い当てられて、ぼろでも出したら大変な事になる。

明日からずっとそのネタでからかわれ続ける事は必至だ。

それだけは絶対に阻止しないといけない。

だいたい、当ててやるなんて大見得切っているけど、絶対絶対綱手様のはったりに違いない。

そんなのに引っ掛かってついつい白状しようものなら、それこそとんだお笑い種だ。



絶対にばらすものか・・・と身構えていると、

「おっといけない。もうこんな時間だ」と壁に掛かった時計を見上げて、綱手様が椅子から立ち上がった。



「悪いが、ちょっと会議に顔出してくる。後は適当に片付けといてくれ」

「あ、はい・・・。いってらっしゃいませ」

「・・・・・・掴み所がないったら、ないんだが・・・」

「はい?」

「悪い男ではないからな・・・」



妙な薄ら笑いと共に、顔をじっと覗き込まれた。



「・・・・・・し、師匠・・・?」

「ああ、何でもないよ。アタシの独り言さ。さーて、行ってくるか」



「ま、せいぜい頑張んな」 ニィーッと笑いながら、綱手様が部屋から出ていった。



パタン――



急に静まり返った部屋に、時計の秒針の音がカチコチカチコチ・・・とやけに響き渡る。

一人取り残された私は可笑しいくらいに顔が火照り、さっき以上に心臓がバクバクいっていた。



「・・・な、何をどう頑張ればいいのよ・・・」



明らかに負け惜しみだが、一言言い返してやらなければ気がすまない。

気恥ずかしさばかりが先にたち、妙な怒りさえ湧いてきた。

お門違いの怒りの矛先を全て綱手様に向けながら、手近にあった椅子を乱暴に引き寄せ、ドスンと荒々しく腰掛けた。




独り言、ねぇ・・・。

あんなあからさまに大きな声で、絶対私に聞かせようとしてたじゃない。

掴み所がないって、でも悪い男じゃないって、変に仄めかしながら言ってるけど、それって絶対カカシ先生の事を指している。

何で知ってるんだろう・・・。

ただの当てずっぽう・・・?それとも、本当に私の心を・・・。




課題が成功してホッとしたのも束の間、新たな問題勃発でまた頭を抱える破目になってしまった。

あの、人を食った笑顔から綱手様の心の奥を読み取る事は、私には到底無理だった。

つまり私は、全然優秀じゃないって事なんだろう。



まさか、こんな形で力の差を見せつけられるとは・・・。

さすが伝説の医療忍者にして、木の葉隠れの里の五代目火影様。



侮れない・・・。










そんなこんなで数週間が過ぎた。



カカシ先生は相変わらず里を出たり入ったりの繰り返しで、私はずっと修行漬けの毎日だったから、顔を合わせる事はほとんどなかった。

淋しくないと言えば嘘になる。

先生の事だ。きっと最高ランクの任務ばっかり請け負っているに違いない。

修行の合間合間に窓の外を眺めては、この空のどこか遠くにいるだろうカカシ先生の無事を、心の中でそっと祈り続けた。

たまに木の葉病院で治療を受けているようだったけれど、修行中の私にお呼びがかかる訳などない。

人づてに先生の安否を知り、ホッとするだけだった。



そんなある日の事。

任務受渡し所でカカシ先生とばったり会った。



「カカシ先生ー、久しぶりー!」

「お、誰かと思えば・・・」



「任務か?」私の出で立ちを見て先生が尋ねてくる。



「うん」

「そうか、サクラもいよいよ独り立ちか」

「んー、そう言いたいところなんだけどね。まだまだ先輩達にくっ付いて実習の最中・・・」



シズネさんや他の医療班の先輩のチームに無理矢理混ぜてもらって、変則的に五人小隊を組み、任務にあたっていた。

チームに医療班のメンバーが加わるという事は、多かれ少なかれ任務に怪我が伴う事を意味している。

つまりそれは難易度の高い任務であり、周りは上忍や特別上忍ばかりというのも珍しくない。

ひよっ子の私は、自ずと気が引き締まった。



「よーし。頑張ってこいよ」

「はい、行ってきます」



先生の笑顔に励まされ、やる気がぐんと上がる。

自分でも現金だなと思うくらい、顔が勝手ににやけていた。

いけない、いけない・・・。

任務前なのに、ちゃんと気を引き締めないと大怪我をする。

不自然にならない程度の笑顔を浮かべて、さり気なくカカシ先生の傍に近付こうとした。

ら・・・。



「あーそうそう・・・、サクラ」

「はい?」

「くれぐれもサクラが怪我して周りの足引っ張ったりすんなよー」

「・・・うっ」

「結構お前って熱くなりやすいからなー。勢いだけで突っ込んで、医忍が率先して怪我してたんじゃ洒落にもなんないぞ」

「そ、そうね。気を付けます・・・」

「一人突っ走るのもいいが、チームワークが最優先だからな。ちゃんと憶えてるか?」

「・・・昔、カカシ先生によくよく教わりました・・・」

「そうか、憶えてるならいい。・・・ま、何事もほどほどにな」

「・・・・・・はーい」

「コラッ!返事は短くきびきびと!」

「・・・はい」

「ったく、オレだからいいけど他の隊長だったら大変だぞー?くれぐれも隊長の命令には口答えしないでちゃんと従えよ」

「んもう、分かってるって・・・!そんなの基本中の基本でしょ!」

「あのなー、その基本が心配だからこうやって言ってんじゃないの」

「うぐぐぐぐ」

「なんだかなー、どうもお前は危なっかしく見えちまうんだよな・・・。どんな時だって基本は大切だぞ。基本を疎かにすると必ずドジるからな」

「はいはい、よーく分かりました。どんな時でも基本に忠実に任務をまっとう致します!・・・もういいでしょ」

「あ、それと・・・」

「今度は何!?」

「腹出したまま寝んなよ。風邪引くぞ」

「もういいってばっ!」




「早く行きなさいよ!」 まだまだ何か言いたげな先生の背中を、強引に部屋の外に押し出した。

こらえきれず、周りからクスクスと忍び笑いが湧き起こる。



なんなのよ、もう・・・。いい恥っさらしじゃない、全く。

今どき、アカデミーの一年生でも分かりきっているような事を、よくもまあくどくどと・・・。

久しぶりに先生に会えてキラキラときめいた乙女心を一体どうしてくれるのよ!?



むかっ腹を立てながら受付の前に歩み寄ると、綱手様がニヤニヤと含みのある視線をこっちに送って寄越した。



「はぁぁー・・・、アイツがあそこまで心配性だったとはねぇ・・・」

「・・・どうせ私は出来の悪い生徒でしたから」

「なんだい。じゃアタシは出来の悪い奴を無理矢理押し付けられちまったのかい?」

「むっ」

「ま、アイツの中では、いつまで経っても昔のサクラのままなんだろうねぇ・・・。それもまあ、仕方ないと言えば仕方ないが・・・」

「・・・・・・」




昔のままか・・・。

みそっかすで、泣き虫で、口ばっかり達者で、サスケくんやナルトの後を追うのが精一杯だった私。

あれから数年、必死になって頑張ってきたのに・・・。

カカシ先生の目には、全く成長して見えてないの・・・?



知らず知らずに溜息が漏れる。

悔しいのか、悲しいのか、それとも情けないのか・・・。

きっと全部の気持ちだろう。

改めて私とカカシ先生との距離を思い知らされた気分だった。



「前途多難だな、お前も」

「・・・どういう意味ですか」



「さーてね」と肩を竦めながら、依頼書を私に手渡す。

相変わらず意味深長な含み笑い。

何かやり辛いなあ、もう・・・。

大声でキッパリ「違います!」と否定できないから、余計始末が悪い。



「早くアイツを安心させてやんな」

「え・・・?」

「どうやら、それが一番の『近道』らしいぞ」

「・・・・・・」



「近道って・・・、何の話ですか?」と真っ赤になって綱手様を睨み付けると、「ふふ〜ん」とわざとらしく顔を逸らされた。



ああ・・・、完全に遊ばれている・・・。

私の本心を見透かして、面白おかしく笑ってる・・・。

挙句の果てに、「ほら、早く行きな。新入りがみんなを待たせるなんて図々しいよ」と、シッシッと手で追い払われてしまった。

なにか釈然としない・・・。





「・・・し、失礼します」






何なのよ。カカシ先生も、綱手様も。

寄って集って人のこと馬鹿にして・・・。





くっそぉぉーーーっ!

早いとこ一人前になって、絶対カカシ先生と綱手様を見返してやるーーーっ!

しゃぁぁーーーんなろぉぉぉ!